S.A.L. 広報局
- 5月30日
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私たちは現在「ロヒンギャ難民の子供たちに夢を叶えられる力を」をモットーに、オンラインでの学習支援活動やキャリア支援活動に力を注いでいます。コロナパンデミックの影響で昨年活動内容を刷新したばかりですが、メンバーみんなの強い思いによってここまで発展することができました。
日本の難民認定率は1%以下と世界でも類を見ない極めて低い水準にとどまっています。日本に住むロヒンギャ民族の中にも難民認定が貰えずに仮放免状態にある方が多くいらっしゃいます。国籍が無いが故のデメリットは計り知れず、就職や社会保障の機会を得られずに厳しい生活に追い込まれているのです。こうした状況はロヒンギャの子供たちにも暗い影を落としており、その顕著な例が「学力水準の低さ」でした。
ロヒンギャ難民の親御さんの中には、教育の必要性を十分に理解していない人もいます。教育は受けなかったけれども工場などで勤務してなんとか食べるには困らない生活ができている。だから子供たちの教育にも関心を持たないのです。たしかに、学校に行かなくても生活はできるのかもしれない。子供たちもまた、そうした環境の中で勉強に興味を持つことができず、必要性も実感できないまま漠然と過ごしてしまっています。なんとなく高校を卒業して、なんとなく親と同じ職業につく。けれども、それでは貧困の連鎖を断ち切ることはできません。
代表である私にも、家庭の事情から大学進学を諦めた過去があります。幼少期から両親に虐待をされ、高校卒業後に耐えかねて家出をしました。食べるものが無い、帰る場所は無い、頼る人もいない…。立川の町をさまよいながら、あの時ほど孤独で泣いた日々はありませんでした。ネットカフェで就職活動をするも、魅力的な求人の多くは大学卒業以上が条件。とにかく住む場所とお金が欲しかった私は住み込みで新聞配達の仕事をしようと一旦は心に決め契約をしますが、大学進学の未練は残ったままでした。しかし家出少女が大学に進学した前例は私が知っている限りでは存在せず、縁がないと思うより他無かったのを覚えています。
そんな私が今、慶應義塾大学で学ぶことができているのは私に力を貸してくださった方がいたから。無謀だと反対する人もいましたが、応援してくれる人の期待に応えたくて、ただ全力を尽くした日々。今では頑張って良かったと、心の底から胸をはることができます。
人の優しさに助けられた分、今度は私が誰かのお手伝いをしたい。大学に入学したのち、そう考えていた時に出会ったのが、ロヒンギャ難民の一人で猛勉強の末に日本の大学院まで卒業されたカディザ・べゴムさんでした。「ロヒンギャ難民が今後民族として発展していくには、世界と渡り合えるリーダーを生み出す必要がある」。その思いに共感し、仲間と共に一からプロジェクトを作り上げてきました。
子供たちには無限の未来があることを、私は信じます。一度きりの人生だから、なりたい自分になってほしい。たとえ周りに反対されても、誰も成し遂げたことがなくても、意思があれば必ず道は開けることを、私が証明します。夢は描かなければ叶えることすらできないのだから、まずは世界が広いことを知ってほしい。今いる狭い世界に囚われて自分のなりたい姿に気づくことができないことは、勿体ないことです。そして、その夢を叶えられるだけの力を持つこと。子供たちがよく抱く疑問の一つに「なぜ勉強をしなければならないのか」があります。私たちはこれに対する回答として、「みんながなりたい自分になれる、自由に生きていける、その為の基礎的な力は学校での勉強にあると考えている」と伝えています。学校教育で培われる問題解決能力は確実に子供たちの手助けになります。
ロヒンギャの子供たちが、幸せな人生をおくれますように。私たちロヒンギャ難民プロジェクトのメンバーは、子供たちの未来のために今後も全力で活動を続けていきます。
バングラデシュ・クトゥパロンにある難民キャンプの様子
そんな彼らに対して、私たちにできることはないだろうか。
そんな思いから、写真展・ドキュメンタリー映画制作を通して、ロヒンギャ難民に関する発信活動を続けてきました。
2021年以降は、発信活動も加え、日本に在住するロヒンギャの子どもたちに対する教育支援も行っています。