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執筆者の写真S.A.L. 広報局

【スタツア実録 #3】2024春 タイエレファントスタディーツアー 

「タイの東部、ゾウの原産地の村。」

(15期 タイエレST、SPC 小池遼)


そして私たちは、上述のスリン県のある村を訪れた。そこはタイ全国の観光地で働くゾウが生まれ育つ場所の一つで、多くの家でゾウと村人が共に暮らしている。村の人々は象使いとして、ゾウとともに観光地に出稼ぎに出ている。かつてゾウとともにフィリピンや韓国へ行った経験のある象使いもいる。現在、日本にも千葉県のゾウ観光施設で働いている象使いがいる。


スリン市の市街地から車で1時間。途中までは首都バンコクから東西南北に伸びる幹線道路をひた走ったが、そのあとは左右にどこまでも広がる田んぼを眺めながら荒れたアスファルトの上をボコボコと跳ねながら進んだ。しばらくすると林と田畑の間にポツポツと屋根が現れ始める。田舎の祖母の家に向かう時と似たような感覚になった。村に入ると隙間なく民家が並んだ通りが現れた。埃っぽい商店はいつか祖父におもちゃをねだった駄菓子屋と似ていた。もちろん外観は全く似ていないのだが、祖母の住む町とタイの辺境の村は、どこか同じような哀愁に包まれているようだった。


しかし、ところどころの庭に、ゾウがいる。気をつけていなければ見過ごしてしまうほど、違和感なく村の景色に溶け込んでいた。どこにでもある村のように錯覚しかけた私をこの村に引き戻すかのような。薄いのに強い、矛盾した存在感。


観光客はこの村でもゾウの背に乗るアクティビティを体験できる。他の地域のそれと違い、1時間にもおよび村の中を歩き、ゾウとともに川に浸かる。泊まった宿にも象舎があり、ゾウ乗りアクティビティをしていない時でもゾウに餌をやったり触れ合ったりすることができた。もはや象使いになる鍛錬の初級なのではないかと思えるほど、ゾウと触れ合える場所だった。県の運営する観光施設では、ゾウのショーも行われており、私たちの目の前で何頭もの象が足をあげ踊りを披露し、鼻で絵を描き、サッカーをする。数百人の観客が歓声をあげていた。


ターティット村のゾウ乗り体験


エレファントショー


でも正直、ゾウに乗っていてもゾウのショーを見ていても、それがゾウにとっての幸せにはなってないのではないかと考えてしまった。象使いたちは鋭利な斧のようにも見える棒を片手に、いつもゾウの横に立ちそれを振るう。ゾウの感情はわからないが、どうしてもどことなく浮かない顔に見えてしまった。


その村に滞在しながら象使いに話を聞いたり、一緒にご飯を食べたりした。ゾウの日という年に一度のイベントもあり、その準備を手伝ったり、当日には村人たちと一緒に村を練り歩いたりした。象使いの方々は、家の庭でも、職場の観光地でも、ずっとゾウと一緒に生活を共にしていた。ある象使いは、一家4人で最低限雨風の防げそうな木とトタンでできた質素な家に住み、その家の庭で頭のてっぺんまで3メートルはゆうに越えるゾウを飼っていた。また違う象使いは、一番の幸せはゾウが健康でいることだと言った。


ゾウを飼うことで持続的な収入を確保し、その収入でゾウを飼うことが可能になっている。その必要最低限の循環の中で、家族と同じくらいゾウを大切にし、ゾウの健康を祈っている。ゾウが人を乗せることやショーに出ることを楽しんでいるかは確かに分からない。でも、ゾウと村の人々の間には、確かな信頼関係が存在すると思うようになった。


最終日。「ゾウの日」というイベントだった。前日から村のあちこちで飾りがつくられ、村一番の大通りやゾウの施設には果物や野菜が積み上がっていた。タイ全国のゾウのファンたちから送られてきたという。前日の夕方に村の人々と協力して道の両脇に長い鉄製の台を設置し、その上にスイカやトウモロコシを並べた。


イベントは、朝8時からと聞いていたが朝10時から始まった。老楽男女たくさんの人が集まり、ゾウと触れ合ったり、音楽と共に練り歩いたりしていた。


そうするうちに、やはりはじめに感じた気持ちは少し変わっていった。この村の人々がどれほどゾウと関わっていて、どれほどゾウを想っているか、そして何より、どれほどゾウがこの村に根付いているのか。ゾウに乗るだけ、ショーを見るだけでは分からない。この村は、ゾウと共にある村だった。



ゾウの日を飾る編み物を作る方々


猫。



ゾウの日前日、お祭りの準備


大盛況なゾウの日


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