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執筆者の写真Magadipita

【Magadipita】湯気の向こう側へ

更新日:2022年3月7日

 いそいそと服を脱ぎ、もくもくの湯気の中から現れるのは大きな湯船。逸る心を抑えながらちゃぽんと浸かればそこはもう、天国。銭湯はいつの時代も人々の身近な憩いの場となってきました。

 日本最古の説話集、『今昔物語』にはすでに銭湯についての記述があるんです。江戸時代には市民のコミュニティの場としても栄えました。そう、銭湯ってただお湯に浸かるだけの場じゃないんです。おしゃべりしたり疲れた心をほぐしたり…。安く気軽に非日常を味わえるのも魅力の一つかも。

 さて、銭湯について考える上で私たちは頭の中に留めておきたいことがあります。それは銭湯は公衆浴場であるということ。つまり、銭湯は生活必需品であり、銭湯に入るという権利はどんな人からも奪えない・奪ってはいけないんです。

 世界には様々な人がいて、それぞれがそれぞれの生活を送っています。そして、グローバル化が進んだり、交通技術が発展したりしたことでこれまで交わることのなかった種類の人々とも簡単に出会えるようになりました。今までの当たり前・非常識は本当にそのままで大丈夫でしょうか?


「入れ墨、タトゥーのある方お断り」

 こんな立て札、みなさんも公衆浴場で見たことあるはず。どうしてタトゥーがあると公衆浴場に入っちゃダメなんだろう?

 実はこれ、反社会的勢力との関係を断ち切るためのものなんです。

 一昔前、タトゥーは反社会的勢力の象徴でした。

「タトゥー=ヤクザ」

そのイメージは映画やドラマなどのメディアの影響で日本人の心に深く刻まれています。タトゥーのある人を見て嫌悪感を抱く日本人が多いのはこれが理由なんだとか。

 銭湯側もタトゥーに嫌悪感のあるお客さんからのクレームを気にして、あらかじめタトゥーのある人の入浴を制限している、なんてことも。

 こんなにたくさんの公衆浴場がタトゥーのある人に入浴制限を課しているのだから何か法的な根拠があるのかな…と思いきや、それらしいものはなく各々の裁量に委ねられているのが現状です。

 そのため、すべての公衆浴場がタトゥーを禁止しているわけではありません。中にはシールや上着でタトゥーを隠せば入浴OKのところも。

 だけれど実は、現代の入墨・タトゥーというのは、「多様性」の象徴でもあると言えるのです。入墨は、近年では決して反社会的組織の独占物ではなくなってきました。ファッションコンテンツとして楽しむ人もいれば、大切なものを身体に刻み込んでおける素敵な「記念品」としての面も見られるようになってきたのです。

 さらに、文化圏が異なれば、入墨はそもそも通過儀礼を象徴するものであったり、欠かせない身体の一部であったりすることも。

 つまり、暴力団を象徴する入墨は、多様性が認められ、国際化も進んできた現代の日本では、むしろ無視できない「多様性の現れ」として私たちの身の周りにいるのです。

 それでも、入墨を入れている方がまだまだ少数派であるということも否めない事実です。私たちは少数派を受け入れていくべきなのか、それとも、「公衆浴場」という大勢が利用する銭湯では多数派の気持ちを大事にすべきなのでしょうか?




 ある日、あなたが女湯に入っていたら、 たくましい体つきをした男性が入ってきました。 その男性は泣きながら入れてくれと訴えました 「私の心は女なんです」と。 かわいそうなのはこの男性でしょうか?それともあなたでしょうか?


 銭湯に入ると真っ先に目に入る、赤色と青色ののれん。世の中には、性別によって線引きを行う施設やサービスが数多く存在しています。例えば、トイレ、更衣室、女性専用車両、映画のレディースデイなどもそう。これらをトランスジェンダーは自認する性別に従って利用できるのか、問題になることがあります。

 トランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別とは異なる性別を自認している人のこと。生物学上の性別、身体上の性別、戸籍上の性別、心の性別。実は性別の概念は1つではありません。しかし日常のあらゆる場面において、特に銭湯において、私たちは見た目のみで性別を判断してしまいます。自分たちとは全く違う身体つきの人が入って来たら、嫌悪感を持つ人も多いでしょう。確かにトランスジェンダーを自称する「身体は男性」の客が、女湯や女子刑務所で性暴力を奮う事件があるのも事実。しかしこの「嫌悪感」は、このような事件や固定的なイメージが先行し、トランスジェンダーのことを正しく理解できていないからなのかも。

 銭湯のような公共施設でも、トランスジェンダーが「心の性別」に従って利用する権利はあるのでしょうか。そして施設や他の利用者には、それを拒絶する権利はあるのでしょうか。



 入れ墨を入れている人も、トランスジェンダーの人も、社会の中ではマイノリティー。銭湯の中では尚更です。誰もが一糸まとわず身一つの銭湯では、身体的特徴だけが目に入ってしまいがち。しかし文字通り裸の付き合いだからこそ、一緒にお風呂に浸かり、おしゃべりをするうちに、内面まで見えてくるかもしれません。皆さんも銭湯に入って、リラックスするとともに、社会問題についても目を向ける時間にしてみては?



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