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​ワラビスタン〜日本に住むクルド人たち〜

日本に逃れて来たクルド人たち

国を持たない世界最大の民族として知られるクルド人。彼らは、元々イラン、イラク、シリア、トルコ周辺の山岳地域に居住していた。各地で差別や迫害を受けてきた彼らは、安定した生活を求め世界各地へ移住を始めた。

日本もその例外ではない。埼玉県蕨市。中東から遠く離れたこの場所には、多くのクルド人たちが集まりコミュニティを形成している。その多くはトルコの南東部をルーツとしており、遠い異国の地で助け合いながら生活を送っている。トルコでの迫害を理由に難民申請をしている人も多いが、歴史上彼らが日本で難民と認められたことはない。認定率0.4%という日本の難民制度の前で、彼らは呆然と立ち尽くすだけだ。不認定を繰り返し、在留資格を失った人々は原則、入国管理庁に収容される。たとえ仮放免という形で身柄が解放されても就労が許可されず、さらに国民健康保険などの社会保障を受けることが出来ない。コロナ禍では10万円の給付金さえも受給することが出来なかった。

不足した公助に苦しむ在日クルド人たち。そんな彼らを支援しようと長年奔走してきた人々も多くいる。「クルドを知る会」会長を務める、松澤秀延さん(71)もその一人だ。今回は20年近く在日クルド人たちと関わり続けてきた松澤さんにお話を伺った。

「クルドを知る会」会長  松澤秀延 71才

​埼玉県川口市および蕨市のクルド人コミュニティ(通称ワラビスタン)を中心に、生活支援活動を行う「クルドを知る会」の会長を務める。蕨のクルド人コミュニティが創設された当初から活動に携わり、20年近く生活支援活動や入管収容者との面会活動を行なっている。

目の前にいる人と接触すること。それがいちばんの近道。

–––––––– 埼玉県蕨市や川口市に多くのクルド人が集まったのはどうしてですか?

それはもうだいぶ昔です。80年代のバブルの時に当時のマイホームブームをきっかけに建設ラッシュになって、中東や東南アジアから大量に労働者が集まってきたわけね。景気が良かったときは日本人ともうまくやっていたみたいだけど、バブルが崩壊して外国人たちは仕事がなくなってしまった。日本人のやらなくなった仕事を外国人たちがやるようになって、川口のあたりにイラン人が集まってきてね。その中にクルド人が混ざっていたのを知ったのが90年代前半。そういう外国人が住みやすい土壌があって、トルコのクルド人も集まり始めましたね。

–––––––– 松澤さんは在日クルド人たちをどのように知りましたか?

日本のクルド人が増えてきたのは、90年代の終わり頃から2000年代にかけてだったかな。同僚として同じ職場で働いていた外国人の一人が突然姿を消してしまってね。他の外国人に聞いたら、「ウシクにいる」って言われたんだよね。後からその同僚はトルコからきたクルド人で、姿を消したのは入管に収容されたからだったということがわかって。それが彼らとの出会いでしたね。

実際に活動を始めたのは、彼らが自分たちのコミュニティを作りたいって言い出した時。

なんでコミュニティを作りたいのって聞いたら、「これだけ日本に多くの人が難民として来てるのに政府は認めてくれない」って言っていたんだよね。トルコではクルド語が禁止されたり、クルドの村だけインフラ整備が後回しになったり色々厳しい状況に置かれているみたいで。そうした場所から逃れて来たクルド人が日本で難民として認められるためには、コミュニティを作って自分たちの意見を言わなければいけないんだという話を聞いて、日本人の立場からコミュニティの創設に力を貸しました。

–––––––– 「クルドを知る会」は主にコミュニティ内の生活支援活動や、収容者への面会活動が挙げられると思いますが、そうした活動に対してどのような考えを持っていますか?

我々の活動っていうのは民間のボランティア団体でね。誰が対象とかを考える前に、まずそこにいる家族と接触することによって、生まれる心配じゃないけど。まぁ、人間どんな人だって交流がないとその正体はわからないし、愛情もそこに湧かない。ところが付き合い始めると、相手が誰であろうと「もし自分がこんなだったら困るな」みたいに自分に置き換えるようになっていく。そうした意識の中でボランティアをやっていますね。あくまで人と人の個人的な付き合いがベース。今でこそ2000人近くいるコミュニティになったけど、10年20年続けて来た関係があったからこそ、今の絆ができたのかなと。

長い間続けて来てこれまで100家族くらい関わりましたよ。その中の数家族を10年くらい見ていると、最初は日本語が話せなくて、子供が小学校に行っていじめにあって、中学校に行っていじめにあって。高校では先生との間で確執が生まれたり、親とぶつかったり、そういうものをたくさん見て来た中で、ようやく大学に行く人とかが出て来て。そうしたものが一つの成果といえば成果ですかね。

何か大きな運動とかに加勢するだけじゃなくてね、実際に目の前にいる人と接触すること。結局そういう積み上げが一番近道なんじゃないかと思います。

次回「コロナ禍の外国人支援」

20年近くクルドコミュニティを支えて来た松澤さん。長い時間をかけて、行き届かない社会保障や無意識の差別に苦しむ彼らと向き合い、関係性を積み上げて来た。精力的な活動をする中でどうにかコミュニティを維持して来たが、コロナ禍の影響により支援の状況はさらに苦しいものになっているという。次回の記事では「クルドを知る会」が行うコロナ禍での活動の中から、コミュニティの「今」をさらに深掘りしていく。