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​知ろうとすること

彼らの心情を分かろうとすること

–––––––– 20年近いクルドコミュニティとの関わりの中で、どのようなことを感じましたか?

私たちにできることは大したことではないんですよ。ただ、話をすると言うことが大事なことで、話してくれた人たちも全部は話してくれません。自分のいいように話してしまうこともある。その中で一つでも二つでも真実に近いなってことを自分で感じ取らなくてはいけないんです。真実を感じ取ると言うと難しく聞こえるかもしれないけどね、要するに彼らの心情を分かるって言うことが必要なんですよ。人間が生きていく中で嘘をついてしまうことはあるし、それはむしろ当然のことでね。そうした話の中から、彼らを分かろうとすることが重要。彼らから聞いたことを全てノートにとって解決していくなんてことは絶対にできない。一人一人状況は異なっていて、中には私たちには助けられないこともあります。そういう時は、これは別の人に任せようって紹介する。逆に私たちにできることがあれば、それをやっていく。私たちができることは、そのくらいなんですよね。

–––––––– こうした状況下でホスト社会の人々には何ができますか?

まずはね。食うって言うことがいかに大切か、生きることがいかに大切かを知ることが必要なんだと思いますね。

私が知っている人の中には、子供たちは学校に行く必要がないって言っている人もいる。体が成長して、働けるようになったらそれでいいって言う発想だからね、中々教育って言っても頭に入っていかないんですよ。今の日本では、そうしたその日を生きる人たちのことが中々見えてこない。というより、見るのが難しいんじゃない?私がなぜそれがわかるかって言ったら、やっぱり海外に長い間出ていたからなんだよね。

実は私は20代の頃にヨーロッパから中東にかけて30か国近くを旅していたんですよ。その中でたくさんの人に会って、お世話になったんだけどね。国によってはね、ほとんどの人は、生まれて死ぬまでの間に一回も富を受けずに死んでいくっていう場合の方が圧倒的に多い。そういう事実はどうしてもある。日本にいるとそういう人たちを知ることが、中々難しい。お金を持つ人々なんてほんの一部でね。今、表にある社会は見えないところで築かれてる。そうしたことを知ろうとすることが必要なんじゃないかと思いますね。

–––––––– 現在、日本も移民社会になりつつあると言われていると思います。松澤さんは今の日本の中で「共生社会」というものが可能だと思いますか?

ちょっと私は不可能だなって思います。よくみんなね。共に生きるとか、共生社会とかっていうんだけど。その前に共存なんじゃないかと思いますね。共存できなきゃ、共に生きることなんてできない。お互いそこにいるんだっていうことを認めなくちゃいけないんだよね。だからある意味、コロナ禍の日本社会がやっていることは共存じゃなくて、共生なのかもしれない。共に生きられる人しか日本では認めない。じゃなくて共存。そこに存在するってことを優先すべきだと思いますね。クルド人とかね。ある種国から排除されそうになっている。それでもすべての国が彼らを排除しているわけではない。そういう人たちにね、友達として人間として接したら必ず何か違いを見せてくれる。ヒントになることを示してくれるんですよ。そうやってね、まずは共存を目指すべきだと思いますね。

じゃあ、知ってその次にどうするのかって言ったらね。それは人によってみんな違ってくる。知ることで何か光を見つけたらね。その光が確実に足元を照らすにはどうしたらいいか。自分で考える。それしかないんじゃないかと思いますね。

–––––––– そうした「共存社会」に向けて、松澤さんのこれからを教えてください。

私はね、あんまり目標は立てないんですよ。ただ、私今71歳でしょ。だからあと10年くらいは動けるんじゃないかということでね。この10年でいかに若い人たちが日本という社会に関心を持てるようにしていくか。私は、70歳まで遠回りしてきたって言っていいかもしれないけど。自分は人生の中で選んだ道でいろんなことをやってきたから、大学にもいかなかったし、どこにもそういう教育を受けていないけど、いろんな人から指導を受けたり勉強できたっていうチャンスがあったから、今日本にいるクルドの人たちと話ができるんじゃないかなと思ってますね。そのためには自分が少数派の経験をしないと。20代の頃、10年近く旅をしていたっていうのは、自分が周りを見つめるためにはどうしなくちゃいけないっていうことを考えるためだったんだと思いますね。いろんな人間を人種とか地域とかが違った場合、どう見られているっていうのは、ある程度自分が経験してみなきゃわからない。そうした経験を積み上げていくことはね、一生やり続けないといけないと思います。

取材後記

松澤さんと初めて連絡を取ったのは今年の5月。ドキュメンタリー作品の制作活動の中で、関係者にインタビューをしていた時期であった。コロナウイルスによる自粛期間であったため、初回は電話での取材。松澤さんのバックパッカー時代に惹き込まれていく中で、あっという間に時間がなくなってしまったのをよく覚えている。

なぜ松澤さんが長年支援をし続けているのか。この疑問は常に質問リストの中にあり、最後までチェックがつかないままだった。しかし、20代の旅の経験や帰国したあとに家族から冷たい視線を向けられていた時の経験を聞くうちに、苦しんでいる一人一人の相手と向き合う底抜けの寛容さの理由が垣間見えた気がした。

今回の記事の元となる取材をしたのは11月11日。取材をする中で最も印象に残ったのは、「共存社会」という考えであった。共生という言葉が叫ばれる現代では、みんな違ってみんないいとか十人十色とか、いろんな言い方で「違い」が賛美されている。しかし、本当のところそうなのか。その十人十色はどこまでが適用範囲なのだろうか。狭い範囲の中でのみ色は増えていき、そこだけが色鮮やかなのが現状なのかもしれない。

そうした範囲を広げるためには、知らない土地で人に出会い続けなければならない。もちろん目標やゴールがなかなか見えないこの行動は、かなり苦しいものだと思う。しかし、一見遠回りをしているように見えるそうした道のりこそが、結局は一番の近道なのだと、松澤さんは述べている。

知らない土地で、知らない人に出会い続けること。また、それを積み重ねていくこと。今回の取材きっかけに少しだけ、松澤さんのいう「知ることで見つかる光」が見えたのかもしれない。