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【森林と共に生きる】株式会社中川 中川雅也さん

日本は国土の67%が森林で、世界2位3位を争う森林大国。


旧石器時代から現代まで、人々はこの恵みを受けながら暮らしや文化を築き、発展してきた。美しい水の源であり、動植物の多様性保全や、二酸化炭素の吸収、そして災害を防ぐなど、恩恵は尽きない。


そんな中、日本の森林の4割を占める人工林を管理し、安全に保ってきた国内林業は、各地で衰退が指摘される。この森林の荒廃は日本の社会問題と言えるが、多くの人がこの事実を知らないでいる。

高層ビルが建ち並ぶ街。ボタンひとつでなんでも買える時代。

私たちはその基盤にある大事な存在を、気づかぬうちに蔑ろにしてはいないだろうか。


森林と共に生きる7人へのインタビューから、森林を想う。



株式会社中川

 伐採された山に植林することを主とした育林業を行う、「木を切らない」林業ベンチャーです。空き地を利用した苗木の自家生産や獣 害対策なども行っている。 林業のスペシャリストによる書類作成代行や作業道設計などのコン サルティング業務や、学校への出張授業などの教育事業、その他にも林業を盛り上げる様々な企画・事業を展開している。


中川雅也さん

 株式会社中川 伐採された山に植林することを主とした育林業を行う、「木を切ら ない」林業ベンチャーです。空き地を利用した苗木の自家生産や獣 害対策なども行っている。 林業のスペシャリストによる書類作成代行や作業道設計などのコン サルティング業務や、学校への出張授業などの教育事業、その他にも林業を盛り上げる様々な企画・事業を展開している。 株式会社中川の創業者でありながら、自由な働き方を見せるた めにあえて社員として営業を担当する。和歌山県田辺市生まれ の今年40 歳で、地元の小中学校、京都の大学を卒業した後、 インドネシアで貿易の仕事を経て、地元の森林組合へ就職。その後、家族を優先して仕事をするために、現在の株式会社中川 を起業した経歴をもつ。 子育ての視点から、どんぐりのなる木の植林事業や教育事業に 挑戦し、山と動物と地元に「最高に面白い、ハッピーな未来が 来るんじゃないか」と語る。 林業とは縁のない立場からなぜこの業界に入ったのか、そして 中川さんの捉える森林や林業のこれからとは一体どんな姿か、 お話を伺った。



お父さんの休みは何円で買えるの?

ーお生まれ、育ちは和歌山ですか?

 和歌山県田辺市。1983 年生まれの今年40 歳になるいい年のおっちゃんです。地元の小中学校でそのまま成長して、大学で京都の方へ行きました。大学を卒業した後、2 年半インドネシアで貿易の仕事に従事しまして、その時デング熱にかかってドクターストップが。東南アジアでの仕事が難しいと。であれば、地元へ戻って、何かしようとu ターンで戻ってきました。

ーそこからなぜ森林組合に?

 戻ってくる時たまたま求人があったのが森林組合。平成20 年に初めて林業の世界へ飛び込んだという形です。そこそこの給料もらえて、安定的に過ごせたらいいやっていう発想でしかなかった。ただある時、当時3 歳だった息子が、「お父さんの休みは何円で買えるの?」って。息子の一言に対して僕は答えれなかった。僕は父親と小学校の時に死別して、母親がガソリンスタンドの経営をしながら女手1 つで僕のことを育ててくれてたので、当然すれ違いの生活がスタンダード。1人でいることに抵抗はなかったんだけど。でも、息子にとってはそうではなかった。家族っていうものをもう一度見直した時に、このままじゃダメだと。30 過ぎてようやく気づけたと。

 翌日に辞表を森林組合に提出しました。子供と遊びながら働ける、働きたい会社っていうのがなかなか見つからなかったので、じゃあ作っちゃえ、と作ったのがこの会社です。

ー植林の会社に至ったのはなぜですか?

 林業って仕事があるから、その仕事に合わせて働くではなくて、働きたい状況があるから、その働きたい状況に仕事を合わせていくと。林業っていうすごいサイクルが長い業界だがら、可能になることなのかな。と。ま、結構僕、第一次産業最高だなって思ってます。でも僕の林業って、第一次産業ではないんですよね。第三次産業の林業にしよう、林業をサービス業にしてやろうと。だって、フレックとかス自由な時間で働くって、大体第3 次産業のベンチャーじゃないですか。であれば、林業も、第3 次産業化する必要性があるなっていうのを感じたので、僕は木を切るっていうことをまず、取っ払らったんです。



キラキラした子どもの目に耳を傾ける

ー起業にするにあたって何か体感したことはありますか?

 林業自体はかなり閉鎖的な業界。昔は良かったと言うような話をされる年配の方と、僕は考え方が違うんですね。なので僕がターゲットにしてるのは、山をすごく大事にしてきた年配の方々の山を相続するであろう、「同世代」「子育て世代」の方々ですね。昔は林業は儲けられたので、みんな山に投資をした。でも、バブルが崩壊した。そして、林業も木の値段が下がった。もう一度植えましょう、投資をしましょうって言っても、誰も投資しない。長期の不良債権じゃないですか。であれば価値観を変えようと。


 そこで教育分野ってのが出てきた。地元の小学校や中学校で林業や木、自然についての出張授業をやらせてもらってるんですね。すると、家に帰って、お父さん、お母さんにその話をしてくれるんです。子供がキラキラした目で「山っていいよね」って話をするんで、今まで「山なんて値段が下がっていらないものなんだ」って話をすり込まれてる同世代の方々が、真剣に耳を傾けてくれる。何がいいのか、そこを深掘りする話を我々が授業としてやってるので。今は杉やヒノキだらけだが、どんぐりが実る木に変えれば、その実を食べるシカやイノシシと一緒に共存できる。農地におりてしまう獣を殺さなきゃいという負のループを、木を植えることによって解決できるよね。将来山に住む人がいなくなったとしても、どんぐりさえあり続ければ、木が倒れても、次の木がまた勝手に再生されて、水や空気は担保されるよね。こうやって30 年先っていう中期のビジョンをしっかりと子供に見せて、子供たち自身がこの地域に帰ってこれるんだ、帰ってきたいんだ、っていう思いを山から発展させようということです。


 「なんで山切ったのに植えてないの」って素朴な疑問として投げれる子供たちが増えるんじゃないかなと。子供の素朴な疑問に答えれないことを恥じる親世代が増えれば増えるほど、山を切り、植えなきゃっていう責務ができてくる。今目の前位に並んでる子供たちが30 年後になったら、きっと我々と同じ大人の世代になっているで、家族の会話のスタンダードに、山とか自然が出てくるような家庭環境に変わるはず。そこまで来れば、僕が望んでた最高に面白い、ハッピーな未来が来るんじゃないかなと。だから、僕がやってる事業を持続可能にするための1 番のエッセンスが教育なんです。



林業が全て解決してくれますよね

 僕自身、子育て世代で、自分の周りの200 人の子育て世代の方にアンケートをとったんです。田辺に1 番求めることは、「子供に返ってきてほしい」「災害が起こらないでほしい」「雇用があってほしい」だったんです。林業が発展して木が育つっていうことが、ビジネスライクに成立するんであれば、山が豊かに成長して、植える人が増えて、自然を壊さないサイクルから災害も起きづらい、住み続けられる地域ができる。子供たちに帰ってこいって、親としたら大手を振って言える。


 あなたたちが求めてる田辺市っていうのは、林業が全て解決できますよね。っていう方向性から営業してます。なので、山に木を植えるのは、将来への経済的投資っていうよりも子供たちの安定的な将来への投資です。子育てっていう自分が1 番したかったことをベースに今、新しい林業のコミュニティを作っています。


1人カーボンニュートラル

―田辺でお育ちになった中で、林業や森林との関わりはありましたか?

 ないですね。 僕は約70 年近く続いたガソリンスタンドの3 代目の1 人息子で、今の事務所の駐車場の場所がガソリンスタンドでした。ガソリンって使ったら、co2 いっぱい出すじゃないですか。なので、僕の代で木を植えて、1 人カーボンニュートラル。中川家はガソリンスタンドで大きくなって、大きくなるために排出したco2 を僕の代で全部回収して、カーボンオフセットした状態で次の代に渡そうというような。後付けのストーリーもございます。


​是非とも皆さん、掛け合わせてください

―中川さんにとっての林業とはどんなものですか?伝えたいことがあればそれも教えてください。

 ビジネスです。僕山好きじゃないんで。ただ、林業と僕の相性がいい。林業って全てのビジネスと関わると思っているんですね。なので、山を知らないから林業ができない。森林のことがわからないから林業に入れない。山が嫌いだから林業したくない。いろんな方がおられても、自分が得意なことを林業と掛け算するだけで、参加できると思ってます。是非とも皆さん、林業のことは嫌いでも、自分の得意なことと林業を掛け合わせてください。


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