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【HearToプロジェクト】#4「僕のやりたいことは、人のために働くことだ」株式会社麺食杉原伸次さんの人生選択の瞬間

更新日:2021年4月29日

聞き手:曽根京香、阿部翔太郎

記事編集:森川雄基


新型コロナウイルスによって、私たちの学生生活は大きな影響を受けた。

感染の収束が見通せず先行きが不透明な中で、将来に対する不安や焦燥感を募らせる学生は少なくないだろう。かく言う私たち自身も、そうした学生の一人だ。


だが、私たち自身もそんな不安や焦燥感に苛まれる当事者であるからこそできることがあるのではないか。そんな想いから、この企画では実際に社会の様々な分野で活躍する社会人の方々に『ターニングポイント』をテーマにインタビューを行い、重要な決断の瞬間や、当時の想い、葛藤に迫っていくことで、学生の自己実現を支えるヒントを探っていく。




今回インタビューさせていただいたのは、株式会社麺食の杉原伸次さん。


杉原さんは大学卒業後、大手飲食チェーン、ワタミに14年間勤められた後退職。その後外食ベンチャー企業数社を経て、起業を経験。現在は、『喜多方ラーメン坂内』を展開する株式会社麺食に入社し活躍されている。


複数回の転職と起業を経験され、現在でも様々な活動に精力的に取り組んでいる杉原さん。一貫して「自由に生きる」ことを追求してきた生き方は、私たち学生にとって自己実現を達成する大きなヒントになるのではないかと考え、杉原さんへインタビューをお願いした。


今回はインタビューに先立ち、杉原さん自身にモチベーショングラフを作成していただき、それに沿ってインタビューを行った。複数回の転職を経験されてきた杉原さんの人生はまさに山あり谷ありかと思いきや、作成していただいたモチベーショングラフは”普通”ではない形に。そんな杉原さんの人生の『ターニングポイント』や、様々な活動に挑戦する杉原さんを突き動かす『想い』に迫っていく中で、何が見えてくるのだろうか。



【「他人を不幸にする権利はない」 中学二年生の『気づき』】


――最初のターニングポイントとされている中学二年生の時期についてお聞きしてもよろしいでしょうか。


「ちょうどその頃、塾に行きたいと思うようになり、ある塾の入塾テストを受けたんです。そしたら数日後に、そのテストの偏差値が30だったという電話が来て、それに対して母親が申し訳なさそうに『ありがとうございます』と受話器の前でお辞儀をしていたんです」


「僕自身、それまでは自分の成績が悪いことを一切気にして無かったんですが、その時なんとなく、息子の偏差値が30だと伝えられ、母は恥ずかしかったのではないかということが頭をよぎったんです。そういう母の気持ちを考えた時、僕は僕のことで他人を不幸にする権利はないんだと思ったんですよね」


「そして、もし僕の偏差値がもっと高ければ母は誇らしいだろうと思って、中学2年生の秋からちゃんと勉強を始めることにしたんです。そこから国数英の3教科だけを必死に磨いて、高校、大学へとどうにか進学できたんです。」


「僕はそうやって勉強始める前は本当にバカだったんですよ。でもだからこそ、自分の苦手なことに気づければ、それを埋めることができるとわかったんです。そんな気づきがあったからこそ、なりたい自分になるために何をすれば良いかを考えることができました。あそこでバカだって気づいてなかったらきっと僕は暴走族とかになっていたと思います」



【お金持ちを目指した就活。そして見えてきた外食産業の魅力】


――2つめのターニングポイントとして挙げられていた就活ではどのようなことを考えていましたか。


「僕はお金持ちになりたいと思ってて、お金持ちになるためには給料のいい会社に就職しなければいけないから、給料が良いイメージだったメガバンクにエントリーシートを送り続けていました」


「だけど、僕は中堅大学だったのでメガバンクからは返答がなくて、この世の中は人間の個性とか能力ではなくてまず学歴で一線を引かれるということを学んで、驚きました。ただ僕は『お金持ちになる』ということが目標だったので、そこで何をしようか考えた結果、社長になろうと思ったんです」


「それでどうしようか考えていたときに思ったことがあって、僕近所のガストをよく使っていたんですけど、それだけじゃなくて個人経営のお店も使っていたんですよね。それでなんでだろうと考えてみたところ、個人経営のお店は安くて美味しいからだとわかったんです。そこで、外食産業って美味いものを安く売ってサービスがよければ隣のビッグチェーンにも勝つことができるんじゃないかと思いました」


「ちょうどその時、“経営者募集”というワタミからのダイレクトメールが届いたんです。それで社長とお話をして、『経営者になれますか』と聞いたところ、君ならできると言っていただいたのでワタミに入社しました」


【ワタミでの14年間を経て気づいた、自分が本当にやりたいこと】


――ワタミに入社後、同社に14年間勤められたということですが、ワタミ時代の経験はどのように現在に繋がっているのでしょうか。


「働く環境はかなり厳しかったです。それでも僕は、『社長になりたい』という想いが断固としてあったので、辛い環境も社長になるためのステップだと思い、楽しんでいた部分もありました」


「タイにワタミが進出するという話が出たときに、タイの支社長をやろうと思っていました。けど、僕は出世競争に負けてそれは叶わなかったんです。その時、タイの支社長になることは目的なのかどうか、社長になって何をしたいのかがわからなくなったんです。そして、人生について考えた時、僕のやりたいことは、人のために働くことなのではないかと気づきました」


14年間働いたワタミを退職した杉原さん。社長になるという目標から「人のために働く」という目標に変わり、この後どのような人生を歩むことになったのか。

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【インタビュイー:杉原伸次さん】

大学卒業後、ワタミに14年間勤められた後退職。その後外食ベンチャー企業数社を経て、現在の株式会社麺食に入社する。麺食入社後は、ラーメンチェーン『喜多方ラーメン坂内』の新規開店に携わりつつ、児童養護施設の子供たちとの食事会など、『気持ちの温もり』を伝えるための活動にも精力的に取り組んでいる。

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