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【HearToプロジェクト】#5「一つでも多くの”ありがとう”を集めたい」自分の理念に正直に生きる。株式会社麺食杉原伸次さんの人生選択の瞬間

更新日:2021年4月29日

聞き手:曽根京香、阿部翔太郎

記事編集:阿部祐大


新型コロナウイルスによって、私たちの学生生活は大きな影響を受けた。

感染の収束が見通せず、将来に対する不安や焦燥感を募らせる学生は少なくないだろう。かく言う私たち自身も、そうした学生の一人だ。


だが、私たち自身もそんな不安や焦燥感に苛まれる当事者であるからこそできることがあるのではないか。そんな想いから、この企画では実際に社会の様々な分野で活躍する社会人の方々に『ターニングポイント』をテーマにインタビューを行い、重要な決断の瞬間や、当時の想い、葛藤に迫っていくことで、学生の自己実現を支えるヒントを探っていく。



今回のインタビュイー様は前回に引き続き、ワタミや複数の外食ベンチャー企業を経験され、現在は株式会社麺食で活躍されている杉原伸次さん


前回の記事では、「社長になる」という目標を持って駆け抜けた新卒時代の経験をお話ししていただいた。ワタミ時代のあることをキッカケに、自分の人生の目的は「社長になること」ではなく「人のために働くこと」だと気づいたという。


今回も、杉原さんに事前に作成していただいたモチベーショングラフに沿って、「人のために働く」を人生の目標に再設定した杉原さんの人生のターニングポイントについてお話を伺った。



【「理念を実践していない会社は淘汰される」杉原さんが体験した理念と現実のギャップ】


――ワタミを退職された後、関西に拠点を移して複数の外食ベンチャー企業に務められたとのことですが、その期間はどのように過ごされていたんですか?


「ワタミを辞めて最初に、会社の経営理念に惹かれて、お好み焼き屋のチェーンを展開する会社に入りました。いわゆる『お客様も従業員も幸せになろう』という理念だったんですけど、実際には従業員が全然幸せじゃなかったんです。モノ扱いでした」


「その会社で、経営理念と違う世界がそこに広がっているという問題を僕は発見してしまったんです。僕は、ワタミで働いていた時に『問題発見者は問題解決者』という言葉を教えてもらいました。なので、『これから会社を大きくしていくうえで、これは変えないといけない』と社長に言ったんですが、結局その社長は変わらなかったんです」


「会社が存続の危機に陥ってしまった時に、『お前の給料カットしていいか』と言われて、会社の状況的に仕方なかったので承諾したら、半分以上も給料がカットされたんです。」


「僕の今までの貢献度はその程度だと判断されたので、そのように判断されるならここにいる意味はないなと思って、その会社は辞めました。ここで、経営理念を実践していない会社は淘汰されていくんだと思いました」



【一つでも多くの“ありがとう”を集めたい】


その後、自分が大切にしたい理念をもとに、ご自身で会社を立ち上げることを決めた杉原さん。


「『一つでも多くの“ありがとう”を集める』という経営理念のもと会社を立ち上げました。この理念は、僕の人生でも一つでも多くのありがとうを集める生き方をしたいと思って決めました」


「だけどお店をオープンする一ヶ月前に、一緒に会社を経営していた仕事のパートナーに、『杉原さんと一緒に人生を過ごしていても僕は幸せになれません』と言われたんですよ。そこで僕はハッとしました」


「僕は『一つでも多くの“ありがとう”を集める』と言ったのに、一番大事な部下から“ありがとう”と言われなくなってしまったんです。当時の僕の給料が15万円で、彼のは13万円だったし、更にお嫁さんと子供もいたので当然だと思いました。それで、開店をやめることにしました。大変だったのはその後で、請求書がバンバン届いて『日本って冷たいな』と思いました(笑)」


お店のオープン直前までいったものの、部下の幸せを優先し負債を背負った杉原さん。ここには、『一つでも多くの“ありがとう”を集める』という信念を大切にしている姿勢が見て取れる。


【ひょんなことから運命的な出会いを果たす】


――その後更に外食ベンチャー2社を経たのち、麺食の中原社長と出会ったとのことですが、そのきっかけはどのようなものでしたか?


「もう東京へ帰ろうと思ったときに、麵食で働いていた僕の友人が『そんなにプラプラしてるんだったらうちの社長に会いにきなよ。』と言ってきたんです。中原社長とはそこで会い、『食を通じた気持ちの温もりを伝える』という理念を聞いたときは『あぁ、いい会社だな』と思いました」


「しかし理念を掲げるのと実行するのでは違うことを今まで経験していたので、中原社長と直接お会いした際に、麺食の将来について僕が感じていた問題をお伝えしたんです。そしたら『杉原さんはうちの会社の問題がわかっていらっしゃるんですね。もううちの会社入って解決してもらえませんか?』と言われたんです。彼の方から、“問題発見者=問題解決者”と言われてハッとしました」


株式会社麺食の中原社長(左)と杉原さん


【「この会社はやめない」杉原さんの心を動かした中原社長の愛情とは】


麺食の理念に共感しただけでなく、その理念の実現に向かって全力で取り組んでいる中原社長の姿に心を奪われたという杉原さん。そんな杉原さんが、麺食への入社を決意した最大の決め手とはなんだったのだろうか。


「中原社長と初めてお会いしたときに『杉原さんとは今後20年の付き合いですね』と言われたんです。当然嬉しかったのですが、僕も大事な部下の人生を背負おうとした身ですから『定年まで一緒にいましょう』という言葉は、僕の中ではある程度想定内だったんです」


「僕も中原社長に、『そうですね。20年間一緒ですね』と言ったのですが、

そしたら中原社長が『いや違うな。30年です、杉原さん』と言ったんですよ!」


「30年後も一緒にいるということは、中原社長は定年退職した後も僕と遊んでいたいってことですよ。普通、初対面の人にこんなこと言いますか?普通は言わないですよ。

このとき、きっとこの愛情って僕だけじゃなくて従業員一人一人に与えられているんだと思ったんです。」


「だけど経営者って、社員一人一人に愛情を持っていてもなかなか伝えられないじゃないですか。だからこそ僕がこの会社に入って、僕なりの表現で中原社長のあたたかい愛情を一人でも多くの人に伝えていきたいと強く思ったんです。僕、もうこの会社はやめないですよ


4度の転職と起業の断念を経て、『この会社はやめない』とまで想える麺食に出会う。そんな杉原様が学生に送るメッセージとは・・・続きはこちらから


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【インタビュイー:杉原伸次さん】

大学卒業後、ワタミに14年間勤められた後退職。その後外食ベンチャー企業数社を経て、現在の株式会社麺食に入社する。麺食入社後は、ラーメンチェーン『喜多方ラーメン坂内』の新規開店に携わりつつ、児童養護施設の子供たちとの食事会など、『気持ちの温もり』を伝えるための活動にも精力的に取り組んでいる。


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