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【HearTo プロジェクト】#9「自分の中で絶対にブレない軸を持つ」株式会社シェリーココCEO川口莉穂さんがベナンで事業展開をするための原動力

更新日:2021年8月19日


聞き手:小野芽衣

記事編集:菊池美裕、松本大河


新型コロナウイルスの感染状況は一進一退が続き、未だに完全な収束の兆しは見えてこない。しかし、そんな状況下でも刻一刻と私たちの学生生活は過ぎていく。自分のやりたいことに素直になることができなかったり、目標に向かって進むことができなかったりすることに焦りを感じている学生も多いだろう。


だが、私たち自身もそんな不安や焦燥感に苛まれる当事者であるからこそできることがあるのではないか。そんな想いから、この企画では実際に社会の様々な分野で活躍する社会人の方々に『国際協力×ターニングポイント』をテーマにインタビューを行い、重要な決断の瞬間や、当時の想い、葛藤に迫っていくことで、学生の自己実現を支えるヒントを探っていく。



今回インタビューを受けていただいたのは、株式会社シェリーココのCEO兼デザイナーとして活躍されている川口莉穂さん。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、青年海外協力隊での経験を経て、西アフリカの国・ベナンでアフリカ布を使用した製品を作る株式会社シェリーココを設立。一児の母という顔を持ちつつも、ベナンの人々とのかかわりを大切にしながら活動を続けられている。


今回のインタビューでは川口さんの人生におけるモチベーションの変動を表すグラフを事前に作成していただき、グラフに沿ってお話を伺った。明確なやりたいことに向かって邁進されているように見える川口さんのモチベーショングラフは意外にも上下動の激しい形であった。本記事では高校時代のタイ留学に至った経緯から就活まで、川口さんの学生時代について取り上げる。多くの困難や悩みを経験しつつも活動を続けられる川口さんの原動力に迫った。




 

■ タイ留学で定まった人生の方向性


――川口さんの活動の原点ともいえる高校時代のタイ留学に行った経緯や現地での経験について教えてください。


「高校一年の時に少し留学に興味を持ち始めましたが、留学に対する知識も浅く踏み切れずにいました。でも高二のクラス替えで仲いい子全員とクラスが離れてしまい、このまま日本で過ごしてもつまらないと思い留学を決意しました」


「ただその時にはまだタイにも興味ないですし、自分がやりたいこともないから視野を広げたいなってちょっと思っていただけでした。この時はもちろん人生について深く考えてなかったです」


明確な目的は持たずにタイ留学を決意した川口さん。しかしこのタイ留学が人生の大きな方向性を決めることとなった。


「私が1年間暮らしていた家は日本と経済的にそんなに変わらない場所だったんですけど、同じ高校に通っているタイ人の友達の家に遊びに行った時少し衝撃を受けました。キッチンが半分屋外だったりとか、ベッドの枠がなくてマットレスを直に敷いてたりとか、家畜も日本より全然普通にいたりとか。同じ16歳の女の子たちなのに全然違うなって感じました」


「もっと衝撃だったのが、いわゆるストリートチルドレンを初めて見たことです。まだ16歳でお金を持ってない私に対しても『お金ちょうだい』って言ってくる子供達がいたり、同世代くらいの女の子の客引きしてる姿を見たり、ショックを受けました」


「父親に『人の役に立つ仕事をしなさい』って言われたのはずっとの胸の心のどこか片隅にはあったんですけど、その"人"の部分がタイ留学をきっかけに"発展途上国の人"とちょっと狭まった気がします」



■ 実際に足を運ぶことでしか得られなかった気づき


――大学時代に参加された東日本大震災のボランティアではどのようなことを学ばれましたか。


「今までは途上国に興味を持っていたんですけど、一旦東北のボランティアに参加したことで日本国内に目がいったんですね。でも、正直私じゃなくてもやれる人はいるのかなって実際に行ってみて思ったんです。実際に足を運んだ上で、私は日本ではなく海外で活動をしたいと思ったので、そこは今に至るまでずっとブレずにいますね」


「東北のボランティアは、避難所をまわって何が必要なのかを聞き取りながら必要なものを用意していく活動だったんですけれども、その時に感じたのが東京にいると実際被災地で何が必要とされているかっていう情報がまわってこないということです」


「『いやもう水は足りてるよ』とか『洋服は足りてるから古着は送ってこないで』とかそういう情報が本当にたくさんデマも含めてまわってて。かなり心に傷を負った子も多いんだなって感じましたし、行ってみないとわからないことって本当にたくさんあるんだなってことはその時も感じましたね」


■ 就活で再確認した自分が進むべき道


大学生活の中でボランティアを経験し、国際協力に携わる夢を持った川口さん。大学3年生の夏から始まった就職活動でもその夢を追いかけていた。しかし、モチベーショングラフ⑤就職活動でグラフは下降している。


――就職活動では留学をきっかけに国際協力の仕事を目指したのでしょうか。


「タイから帰ってきて就活まで他にやりたいことが見つからなかったっていうのも一つありましたが、やはり将来“発展途上国の人の役に立ちたい”という軸はブレませんでした


「周りの友人を見ていると就活を始めたけれど自分のやりたいことが分からない人が沢山いて、その中で私は逆にやりたいことが明確すぎて就活が大変でした」


“発展途上国の人の役に立ちたい”という希望が通る就職先として川口さんが見つけたのはJICA一社だけだった。しかしJICAに就職することは叶わなかった。そこでなんと川口さんは就職活動をやめる決心をする。


――周囲の方々は一般企業に就職するケースが多い中、就活をやめるという決断に至るまでどのような葛藤がありましたか。


「私がやりたいことに当てはまる会社や企業がなかなか見つかりませんでした。そして唯一就職したいJICAは不採用だったので就職活動をやめることにしました」


「けれど、慶應まで出て就職せずに卒業することに対し親に申し訳ない思いや、少し不安だったり恥ずかしい気持ちは正直ありました」


――その葛藤とはどのように向き合っていったのでしょうか。


「私が就職しなかった理由は将来やりたいことが明確にあり、それを諦めるのなら就職以外の道を探そうと考えたからでした。親とも話し合い、自分の思いを説明して納得してもらいました」


「心が折れそうになった時は、今はやりたいことを叶えるまでの途中経過だから大丈夫だと自分に言い聞かせながら過ごしていました」


■ 協力隊でのベナンの人々との出会い


葛藤の末に就活をやめた川口さんは、大学卒業後2年間現場で活動できる青年海外協力隊に参加することを決めた。西アフリカの小国ベナンへの派遣期間中、シェリーココ事業を始めるきっかけとなる素晴らしい出会いが訪れる。


――モチベーショングラフ⑥青年海外協力隊参加で大きく上昇していますが、協力隊ではどのように過ごし、どのような学びがありましたか。


「協力隊員はアフリカでは一人一つちゃんと家が与えられていて、現地の人と関わらないようにしようと思えば全然関わらずに2年間過ごすこともできる環境なんですよ。実際に現地の人とコミュニケーションを取らず、今後のキャリアや貯金のために嫌々2年間を耐え凌ぐ人もいました」


「でも現地の人たちと深い話をしていく中では実際はそんなことで困っていたんだっていうことが分かったりするんです。どこまで現地の人と本音を引き出せるくらい仲良くなれるかで活動の質が変わるということを実感しました」


「ベナンの人と表面上の付き合いで挨拶だけするような関係だったら、きっとシェリーココは始まっていませんでした




■ 決断の根拠は素直な自分の気持ち


タイ留学や東日本大震災のボランティア、協力隊への参加など、これまでいくつもの大きな決断をされてきた川口さん。そうした決断の基準は自分の気持ちに正直でいることであると主張する。


自分の気持ちにかなり正直に生きてきたなって、今回自分でモチベーショングラフを作って感じました。自分の気持ちって何だろうって思った時に、私の場合は父親からの教えである人の役に立つ仕事という部分でした」



紆余曲折を経ながらも「人の役に立つ」という夢を真っ直ぐに追いかけ続けた川口さん。第二部では、そんな川口さんがシェリーココを創業し夢を形にする上で大切にしていたことに迫る。


 

【インタビュイー:川口莉穂さん】

高校生のときに留学したタイでの経験から発展途上国の人々に興味をもつようになる。青年海外協力隊の隊員として西アフリカ・ベナン共和国に渡り、アフリカ布を用いた製品の製作を開始。日本帰国後、株式会社シェリーココを立ち上げ、色鮮やかなアフリカ布で作られた製品を販売している。



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