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【あじさいプロジェクト】大熊町聞き書き活動01 武内弘さん・都さん 

更新日:2022年4月3日

2020年の11月29日、2020年度第1回目となる聞き書き活動をオンライン上で行いました。

現在は栃木県鹿沼市にお住まいの武内弘さん、都さんご夫妻に震災前の暮らしから震災当時の話、そして現在の思いなどを語っていただきました。

※聞き書きについての説明はこちら



震災前…先代から受け継いだ畑、思い入れのある大熊の景色


[弘さん]

(震災前は)米作りと、東京電力の第一原発で働きながら農業をやっていたけれど、建設も終わったので、検査というか、低地検査と言いますか、そちらには行きたくなかったので、町の町議会に4期ほど勤めていました。


[都さん]

私は大熊町の幼稚園に勤めていました。そして同様に農業を手伝いながらの兼業農家ですね。どちらも勤めていますので兼業農家。大きな農家で大変だねと言われて、今でも農家のところに行くと言われるけれど、「何もしなくていいから追々できるようになるんだから」と言われながらお嫁さんに行きました。

そんなふうにして、環境的には最高の自然豊かでいいところでしたね。山もあり、川もあり、海もあり、大熊町というのは、本当にいい場所だったなと今思いますね。


[弘さん]

私は昭和23年生まれで、終戦後ベビーブームで一番子供の多い年頃に生まれたので、生まれたときから農家の長男として農家を継ぐという頭でいたので、今考えるともうちょっと勉強しておけば良かったなと思う。農業高校を出て、農業を引き継いで、それから農業のほうも機械化が進んで、片手間というか、兼業農家になったような育ち方をしました。


[都さん]

弘で5代目ですが、先代の人たちは富山のほうから移住、移民してきた人たちで、富山県の入善町というところから、入植しているんです。自分たちで鍬を奮って開拓して開墾して得た土地だから、やっぱり土地に対しての思い入れはありますね。


[弘さん]

だからお墓のほうも大熊のほうに残すようにした。父親が3回忌のときに、同じ場所に建て直しをした。寒々としたお墓だったけれど、今度は南向きにして、日当たりがよくなるようなお墓の向きにして、自分も何年か後には、みんなと一緒にいるんだなと思うと、そうせざるを得なくて。だから、大熊の名残は、ずっと忘れない。


(画面越しに写真を見せながらお話をしてくださる武内さんご夫妻)



●震災当時、福島県大熊町から栃木県へ


[弘さん]

(福島第一原発と自宅は)距離的には5キロぐらい。避難していたのは近くに公民館があって、そこに地区のみんなが避難していたけれど、放射能が頭の上に落ちていたのは間違いなかったのかなと思う。


[都さん]

避難がかかったのが、12日の朝6時半頃で、公報で地区の公民館に皆さん集まってくださいと言われて、100mぐらい先の公民館に他の人もみんな集まっていたけれど、ただ集まっているだけで、建物の中、公民館はガラスが割れていて、中には入れない状態だったので、みんな公民館のまわりに立って、「なんだろうね?どうなるんだろうね」と言いながらいたけれど、段々と公報がいろいろ言い出して、「バスで避難してください」とか、「大きな車がある人は出して何人か避難させてください」とか。でも自家用車で行ってもいいですとは言われなかったので、みんなその場で待っていた状況だった。


[弘さん]

うちは一番最後で自衛隊の幌付きのトラックで20人ぐらい乗れたかな。板敷きのイスに、寒い夜中に行った思い出が、今忘れられずにいるけれど、どこを走っているのか、どこに行ったのかもわからないで、夜中の12時頃に郡山の磐梯熱海というところに行きました。受付の机の裏に、妻と段ボールをつけてもらって、ホームレス生活をしました。


両親は近所の方の介護タクシーに乗せてもらって離れ離れになっちゃったんです。それでものすごく心配して探していたんですけれど、そちらの介護タクシーの運転してくれた方から連絡をもらって、迎えに来てもらって、今度は船引という町まで戻りました。そして郡山高校の体育館に行って、そこで両親と会って、やっと安心して、それが13日の夕方です。

(※船引町は大熊町がある双葉郡の隣の田村市にある町である。大熊町からは車で約1時間のところ。郡山市磐梯熱海からは30分程度)


[都さん]

弘の兄弟は仙台に1人いて、(16日に)仙台に電話したんです。そうしたら、「兄ちゃん怒らないでね。私たち呼びたいし、迎えにも行きたいけれど、ガソリンがない、電気が来ていない、水がない、ガスもまだで、そういう状態なので、どうしても年老いたおじいちゃん、おばあちゃんを連れて来るわけにいかないから、ごめんね」と言われて、そうしたら、今度は私たちの娘が宇都宮に転勤でいたので、娘たちがまずは1回みんなでこちらに来て、生活というか、落ち着くまでいたらいいと。18日に娘が、友達が置いていった車を借りて、そしてその車に乗って宇都宮に行きました。本当にそのときには、道路も高速道路ですけれど、走っている車は自衛隊のトラックとか、あとは支援物資とか、支援車と書いて、横断幕をつけた車しか走っていなかったんです。それでもそのまま宇都宮まで、途中で10リッターずつガソリンを入れながら行きました。そしてそのときに、今度は宇都宮のインターに着いたときに、「避難して来たんですか、ご苦労様です、お疲れ様です」と言って、「高速料金は大丈夫です」と言われて、そのときに何となく「ふ~」っとして、やっぱり緊張していた糸が切れたかなというぐらい、ほ~とした気持ちがあったのが忘れられないですね。


(武内さんご夫妻はその後、平成24年12月から緑に囲まれた土地を求めて現在の鹿沼市に移住されました。)



震災後 新しい場所でも大熊町で過ごしたように暮らしたい。

[都さん]

(写真を見せながら)これは「つゆくさ」という本ですが、(弘さんの)母が88才になったときに、何か鹿沼の地に来て、自分は大熊のことについて何か残しておきたいという思いがあって、自分の日記を見直しして、書き写して、自叙伝を作ったんです。昔の家の写真なども入れてあります。このときが一番人数が多かったときです。娘3人と私たち夫婦と、母親夫婦。あとはその上のおじいさん、おばあさんで9人家族のときがありました。そのときの写真です。こちらが、ちょっとしか見えていませんが、母屋と門の入口です。これは平成23年1月に郡山に行っていた娘が孫を連れて帰ってきて、そして凧揚げをして帰ってくるときの写真です。こんなふうにして、今はこの家も屋根瓦が落ちていますので、もう全部このへんから崩れ落ちて、うちに帰っても、うちの中には怖くて入れない状況です。これがちゃんと残っていて、ああ良かったなという写真です。


[弘さん]

キウイはどうしてやるようになったかというと、やっぱり大熊の基幹産業というと、お米作りと、あとは果樹で梨と近くになってから、キウイというのが大熊のだったんですね。あとは遡上してくる鮭とか。そんなのだったんですけれど、それで土地があると言ったら、友達が、「すごくキウイはいいよ」と言うので、「なんで?」と言ったら、「消毒しなくていい」と。消毒しなきゃならないのは大変だから、「消毒しなくていいからいいよ」と言われて、それを真に受けて。

※武内ご夫妻は鹿沼市に移住されてから、土地を購入されキウイやブドウなどの果樹を栽培されている。


そして、それと同じことをやりたくなるんですね。なんかあのときのこと、大熊のことを思い出しては、これをやるとか、今頃はこんなことをしなきゃならないから、やっぱりやろうねとか、そういう思いがあって、ここでもそんな生活を、大熊と同じ生活を、規模は違いますけれど、したいなという思いがあるみたいですね。ついついやります。


[都さん]

そうだわね。そして、結局私達の生活の元になっているのは、やっぱり大熊の生活というか、そういうのがあって、やっぱりあの頃に気持ちは今頃だったら、こんなふうかなという思いがすごくありますね。たまにお墓参りに行ったりすると、大熊町の様子が変わっているんですよ。いろんな建物ができたり、あとはあった建物がもう壊されてなくなっていたり、本当に様子が変わっているので、寂しい思いと「ああ、こんなふうになっちゃったか」という思いがすごくあって、あともうひとつ、自分たちの家は、このまま帰還困難区域なので、どんなふうになっていくんだろう。いつになったら片付けてもらえるのかなとか。いつまで私達が通えるかなという思いもあります。70代に突入してもう2年。お父さんは73になろうとしているし、そうすると、今高齢の人の車の事故とか、なんかというのが多いので、それも心配で、娘たちに連れていってもらうと言っても、自分の足で行くのと違って大変だろうなと思うし、そうなる前に大熊がどうにかなれば…。なんて言うのかな…。


[弘さん]

みんな早く帰っているところもあるんだよね。そういった様子を見ると、早く自分のところもという気持ちが、羨ましいな、早く俺たちも帰りたいなという思いが今もあります。

<お話をしてくださるお二人>

 

◆ 編集後記

震災当時のお話を、日にちを交えながら丁寧にしてくださったことがとても印象的でした。また、別の場所で暮らしていても大熊町にいた時と同じような暮らしをしてしまうというところに大熊町への深い思い入れを感じさせられました。

大熊町に住んでいる方々の暮らしぶりはそれぞれ違うので今後もその姿をお届けしていきたいと思います。次回の大熊町聞き書きレポートは大熊町の歴史を保存する活動をしているおおくまふるさと塾のメンバーである宗形和子さんを紹介します。

【聞き手:岩田千怜】


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