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【あじさいプロジェクト】大熊町聞き書き活動14 志賀正典さん

2020年1月18日、福島県楢葉町にお住まいの志賀正典さんにお話を伺いました。志賀さんは震災前、梨や稲を育てながら、和牛の飼育もする複合経営をされていました。震災後は除染作業にも参加された後、楢葉町で再び販売用の牛の飼育を始められています。また、市場出荷をしない、放射線量のモニタリングのための梨の栽培を大熊町*で行われています。

*放射線量のモニタリングのための梨の栽培は、聞き書き実施後、現在は楢葉町に場所を移して行われています。



● 震災までの志賀さんの歩み


震災前は主に農業。果樹園の梨園と、田んぼが面積としては15町歩。そのうち12町歩が牧草。稲作は3町。そして黒毛和牛の繁殖牛*が23頭。果樹園と繁殖牛と水田の複合経営。

*繁殖牛:子供を産ませるために飼育されているメスの牛


うちはそもそも果樹専門だった。小さい時は、うちの親は桃と梨をやっていて、日金を取ると言って後からみんな酪農の乳搾りをしていた。それを段々に梨畑を拡げて酪農をやめたり、果樹園の肥やしを取るのに和牛をやっていた。


私が高校になってから、親が(農作業を)できなくなって。高校の頃は酪農で乳搾りで、朝に搾って高校まで電車で行って、いくら手をきれいに洗っても糞臭くなる。プーンとニオイがして、これに嫌気がさして(臭いが付きやすい酪農から)和牛の飼育に変えた。


(家族で生活していくには、)梨というのはその年その年で変動がありすぎる。台風が来ると10万、100万単位でみんな落ちるから。その頃は母もいたので、三人で生活するには農業一つでは足りない。これは牛の方が安定しているなということで、段々梨畑を縮小して、牛小屋を立てて、5頭ぐらいの牛から繁殖牛を増やしていった。

<お話をしてくださる志賀さん(2020年1月>



● 震災後の志賀さんの生活


震災後、東京の娘のところに1年。ちょうど孫が小学1年に上がる20日ぐらい前にボコンとなって(震災が起きて)、娘のところに世話になった。日野市というところに。それから震災後1年が過ぎて牛の安楽死を、建設業者が請け負って。そうしたら牛を扱っている人は(その建設業者には)誰もいない。そこで安楽死をするのに、手伝ってくれということで東京から帰ってきたというのが、そもそもの(福島に戻ってきた)縁。


そのうち大熊町の先行除染*があって、草を刈ったりなんだり。それで除染を請け負った建設業者で機械を使える人を探していて。今一緒にここで和牛をやっている人が2年ぐらい前に楢葉で(除染作業を)やっていて、今度大熊で誰か紹介してくれないかということで、私は大熊なら協力するということで先行除染と本格除染とをやって。


*先行除染:放射線量を下げるための本格的な除染作業(本格除染)の前に行われた、作業の拠点となる施設や道路などを対象とした除染のこと。

それでうち(志賀さんの自宅周辺)のところは除染はいつ始まるのかと言っていたら、「5年後に検討する」と、「何かの目的があれば除染しますよ」ということで、それじゃおかしいでしょうと。除染が終わらない限り復興はしないと。除染も終わらないところもあるのに、復興復興と騒いでいる時代じゃない。


除染の完了を待っていても埒(らち)が明かないので、自分の好きな仕事を再開しようと思い、牛を飼った。今年(2020年)は牛を飼い始めて3年目。農家の長男として生まれて、このままで終わっていいのか。一度は死ぬんだから、やれることはやった方がいい。だから一度リセットして、自分で思っていることをやりましょうということで、今は理想的な牛小屋で牛を育てている。



● “牛飼い”のたすきは息子へ


牛を飼って不自由は感じないと言えば嘘になるけれど、やっぱりやっていいと思ったな。梨でも動物でも野菜でも好きなのは、手入れをすればそれだけ、そのものに対して見返りがあるから好き。大根にしろ、きゅうりにしろ、牛にしろ、梨にしろ、手入れすればするほど見返りがあるから。人間は裏切るけれど、野菜や動物は裏切らないから。


<志賀さんが飼育されている牛 (2020年1月)>


うちの息子も今はタイにいるけれど。あと10年で定年になるので、「定年になるなら、牛飼いをやってくれ」と言って、「やる」となった。それに3歳違いの姪っ子もやるということで、どこか土地を見つけて牛飼いをして、道具をみんな揃えてやるから、あとは(二人で)やれよと言っていて。たまに来て手伝ったりしている。やっぱり息子がやると言ったこと自体がうれしいからね。



● 大熊の梨を再び


梨のモニタリングをやるなら、新しい苗木を買ってきてやった方がいいということで、新しい苗木を買ってやっていて、(育てているのは)11本。ちょうど2018年から梨がなりはじめて、2019年は結構なった。


今作っているのは青い「香(かおり)」というやつ。これは絶対になくさないと言っていたから。農林51号*の青いやつが、本当は「かおり*」という名前だけれど、私が持っているのは新高(にいたか)*の中で青い梨がなったやつを育てていて、「かおり」に似ているからということで「香」という名前をつけた。その方が味がいい。農林51号は、青いけれど甘みがあまりのらない。


大熊の梨を食べたら、他の梨は食べない。糖度は幸水(こうすい)*で13.8度だけど、大熊の時は糖度18度だった。「嘘だろ」と言われて、「嘘じゃないから来てみろ」と。「香」なんかはそのぐらい。15度以上。

*農林51号(かおり)、新高、幸水:いずれも梨の品種の名前


2~3年後にまた来たらいいよ。梨ができるから。

 

♦編集後記

子供の頃から震災という転機を迎えてもなお農業と向き合い続けるという志賀さんの生き様と、農業に向き合ってきた気持ちがひしひしと伝わってきました。これまで震災は被害者数などの数字でしか見られていなかったのですが、一人一人の人生に影響を与えたということを実感できた貴重な経験でした。

【編集:中川佳子】




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