2020年12月6日(日)、大熊町の大川原の仮設店舗で鈴木商店を営業されて、鈴木さん親子にオンライン上での聞き書き活動にご協力いただきました。母の鈴木孝子さんがお生まれになったのは長崎県ですが、12歳の時に大熊町に引っ越され、鈴木商店の3代目として頑張って来られました。娘さんの鈴木真理さんは大熊町で生まれ育ったそうです。幼児期に商店街で育った真理さんは、外で遊ぶのが大好きで木登りや海で遊ぶような日常を過ごしていました。成長と共に数多くの夢を持たれましたが、ご家庭が化粧品を扱っていることから影響を受け美容部員を目指し、高校卒業後に美容系の専門学校に進学されました。一度東京で就職されたのですが、地元への愛着が強かったため、4年間の東京生活を経て大熊町に戻られ、今に至っています。この様に地元に愛着を持たれている鈴木さんご家族に大熊町に対する思いについて語っていただきました。
(鈴木真理さん(左)鈴木孝子(右)の聞き書き活動の様子 写真=提供)
● 鈴木さんにとっての大熊町
[孝子さん]
大熊町は子供が伸び伸びと成長することができる環境でした。近所の子供さんたちも、みんな同級生が結構多くて、それでみんなで見守っていただいて、「どこにいるのかな?」「あそこの役場のとこで遊んでたよ、真理ちゃんは」とか、お店をやっているとどうしても、子供たちがどこに行っているかわからないというので、結構教えてもらいました。「今どこどこで遊んでいたよ、真理ちゃんが」とか、「しーちゃんは」とかって、言われて、子育てがしやすかったですね。
[真理さん]
上京して大熊に戻ろうと思ったのは、同級生たちもそうですけれど、近所の人たちとの距離感が近いんですね。それで、一緒に育ててもらったというのがもちろんあるんですが、ある一定の学年ぐらいになると、それが煩わしくなるときがあって、それが嫌でみんな(同級生)1回家を出たくなるんです。それで、高校卒業を機に一度東京に出ました。出てみると、その(大熊町の)環境がありがたかったということに気づくんです。大熊の良さに気づいた時からは、就職しても月に1回は必ず帰省していました。それらを通して、田舎が好きだから戻りたいなというのがあり、ある程度して田舎に戻りました。
● 鈴木商店
[孝子さん]
鈴木商店を創業したのは、大正2年ですね。だからもう100年です。大正の時は、お味噌とか、そういう感じのものをやっていたみたいです。うち(孝子さん)の父ですけれど、2代目からいろいろ薬の資格を取っていました。あと、雑貨など本当にあらゆるものを並べていました。2代目からそんなお店に変わり、3代目はそれを引き継いで、今はうちの子がどういうふうにまた…。震災の後は、お店もなかなか手広くできないような状態になっていますからね。今は。お店はいずれ取り壊しになると思うので、そこには戻れないし、だから厳しい状況になっているかなと。それを親としては心配しています。
[真理さん]
私は、「継がなきゃ」みたいなことは、特になかったんですけれど、3代続いているということもありましたし、いろいろ考えていく中で、そこで終わらせるのは…というのがありました。お店は私が好きで小さい頃から手伝っていたので、私も頑張って続けて、なくさないようにしていきたいなと思って。それで4代目になりました。
専門学校を卒業したことで知識がついたので、それを鈴木商店で活かしたいなというのがありました。今また震災後お店を始めて、もちろん今も化粧品の取り扱いはあるんですけれど、どちらかというと、企業さんに対しての納品を特に一生懸命やらせてもらっています。今は鈴木商店を続けていくために、どういうものを取り扱えるようになるかで、そちらのほうに集中しています。なので、ちょっと変わってきているかもしれないです。実際に震災後、私は東京に避難したので、ネイルの資格を取りネイルサロンにも勤めました。田舎でも町民の人にもできたら楽しいかなと思っています。ですけど、今集中しているのは、鈴木商店で今まで取り扱っていなかったものを納めることです。そういったものを増やしていくことを、今は頑張っています。
今はいわきから大川原に通っていますが、震災前まではずっと自宅兼、お店になっていました。大川原のほうに住みたい気持はあります。今は、仕事が少ないので、引っ越ししたり、ものを揃えたり、家賃を払ったりというのが厳しいかなというのがあって、家から通っているんです。けれど、後々は大川原に住んで、仕事をそこから通いたいなと考えています。
鈴木商店を経営していて、今すごくやり甲斐を感じていています。震災後、大川原に出ると決めた時は、やっぱり不便でした。(大川原には)お店がないと思って、鈴木商店が交流の場やお茶飲みができる場であったらいいなというぐらいの感覚で始めました。今不安もありながらやっているんですけれど、商工会や役場の方々から企業さんへ声をかけていただいています。そういう、町の企業を使うということをしてくださる中で、結構資材系の要望もいただくことが増えてきたので、今はそれをチャレンジして問屋さんだけではなく直接大きいメーカーさんに当たったりして、強くやり甲斐を感じています。
逆に大変なことは、インターネットでものが買える時代なので、ある程度安い金額がバーンと出て来ちゃうんですね。小売は商社、問屋さんを通すので、どうしても金額が高くなってしまうんですけれど、どうしたらいいのかなみたいな。どうやったら安くうちに入ってくるのかと考えた時に、すごい悩みを感じますね。
お客さんの数は、ものすごく減っています。(大川原の)住宅に戻っている方たちもいるんですけれど、うちを利用してくれる方がいる中で、そうではない方も多いです。住宅の中でも一部の方たちがうちを利用してくれるような状態です。店舗利用してくれる方というのは、正直すごく少ないです。
(大熊町への想いを語ってくださる真理さんの様子、 写真=提供)
● 大熊町への想い
[真理さん]
震災後に仮設住宅で鈴木商店の営業を再開しようと思ったのは、募集があったからです。仮設店舗になる前の段階で、商業施設に入りませんか?というのが商工会員に流れました。町民もそんな(大川原)に戻って来ない中で、売上が期待できないとなると、名乗りを上げる人たちが少なかったんですね。初期は200人、今は250人ぐらい、戻って来ているそうですが、営業を町民の方だけを対象と考えると、売上的に営業はやってはいけない。だからどうするかずっと悩みました。
ですけど、私には人が住むところにお店があって当然という感覚があるので、町民の方のためにもやはり賑やかしじゃないけれど、営業を再開する必要があるのではないかと思って。また、震災前からうちは元々企業さんに納品も結構もやっていたので、そういったところを頑張れば、ずっとお店もやっていけるんじゃないかなと思って。納品も頑張ればお店も続けられるし、お店を続けられれば、町民の方もホッとする場所ができるんじゃないかなということで、「やります」と言ったんですね。それで仮設になったのは、商業施設が完成される時期が伸びてしまったんです。1年以上2年ぐらい伸びてしまったので、それでは住民の方が不便じゃないかということで、「仮設を建てるから出てみない?」と言われて、それで仮設に出ることにしました。
元々私たちがいた場所の住民の方たちは、正直大熊町には戻っていないんですね。新たに住宅に戻っている方は、知っている方ももちろん何人かいらっしゃいますけれど、全然知らなかった方たちがほとんどです。なので、そういった方たちが(鈴木商店に)来てくれて、いろいろお話をするようになりました。その方たちも鈴木商店を身近に感じてくれて、お茶を飲みに来てくれて、すごくありがたいと思っています。
● 復興への想い
[孝子さん]
私だけかもしれませんけれど、「オリンピックの聖火ランナーがここを走るよ」と言われても、全然ピンと来なかったんです。私たちはそうじゃないんだよねって。実際に大熊町に帰ってきている人は少ない。それで、福島からスタートだよと言われても、なんかピンと来なかったです。
人が集まるのは、すごく楽しみですけれど、なんか私には、ちょっと…というのがありました。他の人は違うかもしれないですけれどね。きれいになった道路とか、新しく建てられた建物とか、そういうところを走って、そこを映されて、「ああ、こんなに復興したんだ」というのと、まだ手つかずの場所があって、そっちが忘れられるんじゃないかというのが、ちょっと不安です。まだ手つかずの場所があるというのをきちんと説明した上で、こういうふうに少しずつきれいに町が戻っていますという報道ならいいですけどね。聖火ランナーが走るところだけを見たら、「ああ、こんなに復興したのか」と思われてしまうのではないかなというのがあります。
帰還困難区域があって、家に戻るのに手続きをして許可を得ないと帰れないことを知らない人が多いのではないかと思います。だから、私は自分の家に普通に帰れて、普通に生活できるようになるのが復興だと思う。私が思うのは、多くの方に現状を目で確かめて欲しいということです。もう少ししたら10年経ちますよね。もう本当に、最初の頃は、雨が降ったり、風が吹いたりしたら、どうなるのかなって心配していましたけれど、もう10年になると、「あ、もうどうしようもないんだ」と。いくら心配しても、私たちで壊すわけにはいかないし、そういう現状を皆さんに見ていただきたいと思いますね。今復興した、あそこの部分だけじゃなくてね。どれくらいかかるかはわからないですけど。
♦ 編集後記
鈴木さんの大熊町への想いを強く感じることができた聞き書き活動でした。震災後に、居住者の数少ない仮設住宅で鈴木商店の営業を再開することで、地域の方々の憩いの場として鈴木商店を運営していく姿がとても印象的でした。鈴木商店が新たな人と出会える場所となり、多くの会話が行き交う場所になればと強く願います。
鈴木さんの復興への想いのお話を通して、その地域における復興とはどういうものなのかを、真剣に考える必要があることに気づきました。外からではなく、内からの「復興」とは何なのか、この聞き書き活動を通して今後も考えていきたいと思います。
【聞き手:藤原蓮】
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