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【あじさいプロジェクト】大熊聞き書き活動06 宗形和子さん

更新日:11月15日

2020年11月29日(日)、震災の日まで大熊町で生活しておられ、現在は栃木県那須町にお住まいの宗形和子さんにオンライン上での聞き書き活動にご協力いただきました。

宗形さんは結婚を機に大熊町に移住され、花壇にチューリップやスイセンなどガーデニングを趣味とする主婦として生活をされていました。震災後は数回避難所を移った後、那須町に移り現在に至っています。

※聞き書きについての説明はこちら


● ふるさと大熊町への思い


私の実家は、まだ大部分が除染の計画もない白地地区と言われるところで、そういうところをいつまでに除染を終えるという計画を早く示してほしいというのが私を含め、町民の願いですね。月曜から金曜まで大熊の町に入るとダンプがすごいです。持ってきた土砂を発電所の近くに持っていったり、人がいっぱいいて工事もしていてすごくにぎやかです。最初に帰ったころは人にも会わなかったし車なんて1台も通っていなかったのですが、今はとんでもないような感じです。

でも、「何年までに除染が終わりますよ。そしたら住めるようになりますよ」となったとしても、今の状態のままなら考えちゃいます。除染をするといってもうちの周りは木が多いので、あれをどの程度に除染してくれるのか。住めば都という言葉がありますが、今那須町に住んでいると年々愛着は出てきますね。どうしたらいいのかなと思っています。今のように何もわからない状態だと、今自分が住んでいるところへの愛着が増しますね。大熊町への愛着も0にはならないとは思うのですが、相対的にどっちが上なのか日々考えるようになっています。


● 大熊町の繋がり


大熊町民で今でも連絡を取ることはあまりしないようにしていますね。話が深刻になってしまうのです。栃木の方に避難している大熊のグループで年に何回か集まったりします。そば打ちをしてごちそうになることがあるんです。そういうつながり、避難先でのつながりも持てているところもあります。避難している人同士だと、本音が言えるんですね。周りの人から耳に入ってくることは、私は直接言われたことはないですが、いい車に乗っているねとか。お金をいっぱいもらえていいねって目で見られることもあります。これは言わないほうがいいかなって気を使うことはあります。全然関係ない人達の中に入るとね。避難してきている人同士で話すと、本当に困っているという話がわかってもらえるんです。そういうことはありますね。私はそんな嫌な目にあったこともないです。よく言われるような車を傷つけられたとか、言われたこともないしやられたこともないので、そうなのかなと思っているのですが。なるべく後ろ指を指されないように話したほうが良いのかなという気持ちは少し持っています。

(木の実を使って作った小物を紹介してくださる宗形さん 写真=提供)


● ふるさと塾と宗形さん


ふるさと塾は平成8年にできました。塾生と私達は言っているのですが、塾生はみんなもの好きというか好奇心が強いというか、そういう人ばかり。やりたいことはみんなでやろうということで。古代米ってご存知ですか。昔のお米。食べたことはないかしら。ちょっと赤っぽかったり、色がついていたりします。そういうのを作ろうということになり、(田植えをしている人々の写真を指差しながら)見えますか?古代米の苗を私達が田植えをして作りました。

私は大熊町の生まれではないですが、大熊町の歴史とか史跡なんかと知ろうという気持ちも持っています。これは大熊町の図書館で、開館10周年記念で出した本です。大熊の昔話と、そういうのを集めています。(他の本を指差しながら)これは、大熊町の方言集で、これもふるさと塾が出した本です。

その他にも、木の実を使い小物を作る活動もしています。木の実細工のリーダーである泉さんはすごく熱心で凝り性の人で、いろいろなことを考え出すアイディアマンです。

これはくるみ。これは今の季節でよく取れるどんぐり。

小さい子どもでも十分楽しめる体験コーナーを設けて、みなさんに作ってもらうものです。体験コーナーではストラップも作ってもらいます。これがまたリーダーがすごく凝り性で、ストラップの紐から作るのですね。木の実は全て大人たちが直接拾ってきたものを使っています。現在は、新型コロナウイルスの影響で、大勢の人が集まり一緒に作る機会があまりないです。皆さんと一緒に作る機会があったらいいなと思っています。

震災前から「ふるさと祭り」って町のお祭りがあって、震災後も復活しました。最初は会津若松市のほうでやって、その後にいわき市で開催しました。その度に木の実を作るコーナーをふるさと塾で設けて、そこで子どもさん、大人にも体験してもらいました。

大熊町の布芝居で伝えるような伝承民話、歴史を次世代の若い人達に伝えていかないといけないというような使命感を持っている塾生もいらっしゃいます。今の子どもさん達、小学生、中学生たちは、大熊町のことをほとんどわからないですね。震災時に幼稚園生で、10年たっているから今は中学生でしょ。避難後の生活・学校・友達が実感できて、大熊町はこうだったよって言われてもピンとこないみたい。それはどうしようもないことだと思います。こういうイベントで体験コーナーを作ると、子どもさん達はもちろん来てくれるけど、大人のほうが懐かしいねと言ってくださる人のほうが多いですね。大熊町のことを子どもたちに伝えていかないといけないとは思いますけど、なかなか難しいです。


震災当時は塾生は45人くらいいたのですが、みんな県外に移ったり歳を取り腰が重くなったりしているので、だいたい集まっても多くて15~16人。少ないときは10人以下ですね。


(田植えをされているふるさと塾のメンバーの写真、 写真=提供)


● 日常の幸せ


震災から約10年になりますが、震災時には発電所から5km圏内の自宅におりました。その晩はまだ大丈夫というので寝たというか、余震でほとんど眠れませんでしたが。朝起きたら消防団の人達からすぐに避難してくださいということで避難が始まりました。最初はバスで阿武隈の山の中の常葉町に行ってくださいってことで行ったのですが満員で入れなかったので、そこからもう少し行った滝根町に行きました。それから、主人の実家が矢吹町にあったのでそこに行きました。両親はいなかったのですが、家が空いていたので約2年9ヶ月そこにいました。その後、うちも古くなっているので、今住んでいる那須町に移りました。私は避難場所を探し歩くということがなく、最初に移れ、次も移れてという感じでわりと安心して生活できたほうなのですけど、今思うと毎日毎日同じ生活を繰り返して、何もなく夜は布団で眠れ翌朝を迎えられ、同じように暮らせることがどんなに幸せなことかというのを身にしみて今も思っています。

♦︎ 編集後記

福島を離れて栃木県に引っ越した現在も、福島に関わる活動特に、大熊の文化を次世代に残すための活動を積極的に行われている宗形さんの姿を見て、宗形さんの福島への愛着を感じました。

こういった聞き書きの活動で、震災前の大熊の産業や農業についての記録を残して伝えていけることが希望だと宗形さんはおっしゃっておりました。大熊の魅力や伝統を残していくためにも、この活動は今後も大切にしていきたいと思います。

【聞き手:藤原蓮】




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